1979年5月ごろの北京
これは1979年5月に日中友好高知翼の会訪中団の通訳として行った時、北京の中国美術館前で撮った写真です。まだ文化大革命が終わって二年も経っていない時期なので毛沢東の絵が飾られています。
この美術館は中国国内では最大級の大きさで、屋根瓦には故宮紫禁城と同じ黄色のものを使っていたりと中国らしい外観に仕上がっていて、中国では権威ある美術館だそうです。1962年に竣工した自慢の美術館だそうです。垂れ幕には「全国工芸美術展覧」とありますので何か特別展が行われていたみたいです。
現在の中国美術館ではオンライン鑑賞も出来るようになり、色々な作品が画面上でみれるようになっています。絵画だけでなく彫刻や写真、漫画、篆刻もありました。
その他民俗美術のおもちゃ、伝統年画(正月に飾る絵)などもあり、なかなか面白いです。ほとんど知らない人ばかりですが、油絵ではピカソとかもありました。中国語と英語でなのでなんとか分かるのではないでしょうか。(http://www.namoc.org/)
これはその頃の北京の街中です。一般的には北京胡同と呼ばれる城内に点在する普通の小道です。ただここに映っている道は胡同というには少し広いみたいで、普通の生活道路という感じのものです。当時の生活状況がわかる貴重な写真になっています。
北京では平屋のレンガ造りが一般的です。この写真左側にレンガが積まれていますが建築中なのでしょうか作業員の姿も見えます。作業員の服装も人民服を着てますので誰がホントの作業員かわかりませんね。右側には二階建ての家も見えます。このような場所では珍しいです。
家並みは好き勝手というと怒られるかもしれせんが統一性はあまりなく、バラバラに建てたみたいです。印刷工場の営業部が入った建物が手前に見えます。この看板が無ければ普通の家みたいです。当時の中国ではこのように普通の家らしきところを事務所にしたりすることは普通でした。
人々の服はまだ人民服など女性も含めて質素なものがほとんどです。文革が終わってまだ二年ですから仕方がないかもしれません。中国では人民服を制服や標準服として使用されていました、というか、他の服が無かったというのが正解だと思います。
現在では余り見かけることはなくなりましたが、習近平が権威付けのために着ていたりと中国では非常に意味のある服になっています。なお孫文、別名孫中山が流行らせた服なので中山服とも呼ばれています。ちなみに、10年後に私も訪中した時は、男性の服は地味なままでしたが女性の服は派手になってきて美容室もあちこちに出来ていました。どこの国でも女性からファッションは変わってくるのですね。
当時の中国での交通手段は自転車でしょう。この写真にも数多く映ってます。北京は平地で高低差がほとんどありませんので自転車がとても多かったみたいです。ただママチャリみたいな手軽なものは無く、重い実用的な自転車しかなかったみたいです。
私は留学中に買いましたがサイズも選べなくて重くて足の着かない不便なものしかなかったのであまり使いませんでした。
現在の北京での交通手段で、自転車の比率は大きく下がって1980年代では62.7%だったのが2021年はで17.2%になっています。これは自動車産業発展のために自動車を購買させる政策をとったためです。そのため自動車大国になったのですが交通渋滞と大気汚染が深刻な問題になり、今は電気自動車へ転換が急がれています。
この写真の左側に人民電話と書かれた公衆電話があります。公衆電話はボックスみたいなものはなく、普通の家の窓べりや小売店(売店)の入口付近に置かれた普通の電話を公衆電話として使っていました。店の人に市内か長距離かを伝えて電話を使い、市内だったら一律の金額で長距離だったら距離と時間によって金額が変わり、それを精算するというシステムでした。一部の公衆電話では市内専用のものもありました。
日本もそうですが、現在の中国では公衆電話は少なくなったみたいです。2021年の記事ですが「小中学校では携帯電話の持ち込みを禁止されたが緊急連絡をしたい時はどうするんだ」という事で学校に公衆電話を設置する動きになったと出てました。どこも一緒ですね。