1979年5月ごろの北京 その2
ここは北京友誼賓館です。当時の外国人用宿泊所の一つで一般レベルの公式訪中団などが泊まる場所でした。外国人は指定のホテルしか泊まることが出来ない仕組みになっていて、この北京友誼賓館はその中でも最大級のものでした。1970年にはカンボジアのシアヌーク殿下がクーデターで帰れなくなり、このホテルで亡命政府を樹立したそうです。室内の設備は普通でしょうが長期滞在向けにプールやテニス場などもあったそうです。
当時の最高級のホテルは北京飯店で父は何度か泊まった事があると自慢をしてました。北京飯店は天安門広場にほど近く、私も入ったことがありますが重厚で威厳があり、数多くの世界各国の国賓や著名人が利用する迎賓館の役目を果たされるのもわかります。なお食堂しか使ったことはないですが、1986年ごろでは値段もほどほどで美味しかったです。よく食べたのが官保鶏丁(鶏肉とピーナッツの甘辛炒め)でした。
もう一つ高級ホテルとしては釣魚台国賓館があり、ここは本当の国内外の賓客のための迎賓館でありめったに使われなかったそうで、そこには泊まったことがないそうです。文革時代には江青女史が私邸として使っていたり当時の権力者が使っていた格式高い迎賓館だったみたいです。日本の天皇皇后両陛下やアメリカ大統領等も宿泊された事があるみたいです。しかし10年後には一般の外国人も釣魚台国賓館に泊まることができ、私も一泊したことがあります。そんなに高くなかったと記憶してます。建物や部屋のレベルが違うでしょうが普通の部屋でした。現在ではお金を出したら誰でも泊まれるそうです。
当時の中国では外国人との交流は厳しく制限されていましたので、このような外国人が泊まるホテルには警備員というか見張りみたいな人がいて、怪しい人には呼び止めてパスポートの確認などをしていたそうです。
ある時、父が休みの日だったので普通の服を着て外で買い物や観光をして帰ってきたら入口で呼び止められたそうです。その時は背広などのちゃんとした服ではなかったので普通の中国人に見えたのでしょう。どこ行くんだ何人だなど質問されて、日本人だ、ここに泊まってるから部屋に帰るんだと言うと、嘘を付けを言われたそうです。どうしてだ俺は日本人だぞと言うと、そんな汚い服を着てちゃんとした中国語をしゃべる日本人が居るか!と怒られたそうです。
まあすったもんだがあったけど無事に部屋に帰れたそうですが、これを話す父はいつも怒ったように自慢そうにしていました。
私も止められたことがありますが、これはたぶん普通の服を着ていたからだと思います。留学生だと言ったら普通に通してくれました。たぶん私の話す中国語は留学生レベルだったのでしょう。