上海雑技団とパンダ
私が初めてパンダを見たのは大阪でした。いやいや大阪にパンダは居なかったよと思われますが、実は大阪にもパンダは来たのです。1981年に上海雑技団が大阪に立ち寄った時、父は何日か通訳をしました。その時楽屋裏でパンダを見せてもらえるという事でついていった時に見ました。上海雑技団とパンダがどういう関係というと、パンダは団員だったのです。つまり、世界で唯一芸をするパンダ「偉偉(ウエイウエイ)」のことだったのです。
パンダはオリの中に入れられていて遠くからだとかわいい白黒の熊さんですが、近くで見ると目が怖かったのを覚えています。少し興奮気味で獣の目でした。このパンダは滑り台を滑ったりラッパを吹いたりと芸達者みたいでした。
この上海曲技団のパンダ公演は来日するまでにいろいろと厄介な事があったみたいです。まずパンダは中国にとっても貴重な動物であり、さらに芸をするパンダだから国外に出すのはなかなか許可が出なかったらしいです。しかし上海市と友好都市である大阪市や横浜市が力を合わせて粘り強い交渉をして実現させました。
上海雑技団の公演は1月5日に来日して、8日大阪公演をスタートに横浜、東京、福岡、松山、広島、名古屋、仙台、札幌、青森、長崎、最終5月5日の盛岡と周って大盛況のうちに帰国しました。なお、東京での入場券はS席3000円、C席でも1500円だったそうです。
上海雑技団は1974年に初来日しています。この時も父は通訳に行ったりしていました。その演技は素晴らしかったみたいで、二人がかりで動かす獅子舞や皿回し、自転車の曲乗りなどとても凄かったと話をしていました。この時のパンフが最近まで残っていたのですがどこかにいってしまいました。写真をふんだんに使って豪華な作りだったのを覚えています。なおパンダはまだ居ませんでした。
上海雑技団は1986年にもパンダと共に来日しています。この時は「パンダ絶滅の危機」とのニュースの後だったので、パンダ救済資金を集めるチャリティー公演のために来日したみたいです。パンダ絶滅と言ってるのにパンダに無理やり芸を教えるとはどういう事だと世界的に問題視されたみたいで、武漢雑技団にいた「英英(インイン)」を最後に曲芸をするパンダは居なくなりました。まあしかたがないです。
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