祖父について

2022年6月22日

父と祖父 1952年頃

祖父は私にとっては良いおじいちゃんでした。男の孫だったのでとても可愛がっていたそうです。正月には百貨店で子供向けの一張羅を上から下まで揃えてくれたこともありました。また、大阪に来た時は親に知らせずに小遣いをくれる事も多々ありました。施設に入ってからも遊びに行くたびに小遣いをもらったし、それはそれは大事にしてくれました。

明治生まれの祖父
但し、私に対してはこのような態度だったのですが、さすが明治生まれの男尊女卑世代です。母や姉に対しては冷たく、母は何度泣かされた事かといまだに毛嫌いしています。母が結婚をして私が小学生低学年ぐらいまでの間に四人女の人を変えて、しかもその間に浮気をしていたとかなんとか。
それとか先に書いた百貨店で服を買ってもらった時、姉も一緒に行ったのにハンカチさえも買い与えなかったそうです。そりゃぁひどい爺さんだったらしい。

学校の用務員時代
私が物心がついた頃には奈良県五條市にある学校の用務員兼給食職員をしていました。小さい時に何度かそこへ泊まりに行ったこともありました。夏は学校の周りの田んぼにホタルがたくさん舞っていて捕まえた手の中で光っているのが不思議でした。また、寮生活をしていた生徒さんにかわいがってもらった事もありました。
一度泊まりに行った時、隣の部屋の人が可愛がっていた猫に子供が生まれたのを見て、まだ小さいのに体力をつけさせようと水の中に入れて泳がせようとして怒られたことがありました。それ以外に怒られた記憶はありません。

急な旅行
ある時、夕方ごろに連絡があり、急に紀伊勝浦の方へ旅行をしようと言い出しました。バタバタと準備をして和歌山で合流して夜行に乗っって那智の滝や太地町のクジラ博物館、熊野の鬼ヶ島などを見た事がありました。朝早くにタクシーで熊野速玉神社に行ったのを覚えています。母はいつもこっちの都合も聞かず勝手に決めて迷惑や!と怒っていました。

祖父 1980年頃

老人ホームへ
そんな祖父は60歳になる前に急に老人ホームに入ると言い出しました。とりあえず職員として入って、数年したらそのままそのホームに入居するのでお金もそんなに心配いらないと言ってたそうです。
母はそんなお金の心配より親戚から何を言われるかの方を心配しました。というのも、祖父と母の仲があまり良くなかった事、そして今でこそ老人ホームなどに入るのは普通のことですが、当時は姥捨山レベルのイメージがあり、退職しても長男の嫁なのに一緒に住まずそんなところに追い出したという非難をあびるのではないかと思ったそうです。

母の抵抗
そこで母は一つだけ条件を出し、自分の意思でホームに入るということを目の前で親戚中に電話をかけさせたそうです。祖父はその条件を受け入れ無事にホームに入り、亡くなるまでそこに居ました。
ちなみに、祖父はそのホームでも彼女を作り、いっしょの部屋に住んでいました。

老人ホームでも彼女さんと

祖父老人ホーム

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