中国留学への道

北京語言学院留学生楼

私が中国に留学をしていた当時、中国語の留学先で一番有名だったのは北京語言学院でした。この北京語言学院は本来は外語大学みたいな教育機関だったのですが、留学生をどんどん受け入れていった結果外国人向けの中国語学校になってしまったみたいです。

たくさんの国からの留学生
当時の中国には日本でなじみのない中東やアフリカなどの地域、それにビルマ(現ミャンマー)や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)などアジアからの留学生も沢山来ていました。北京語言学院にはこれら世界中から留学生が集まっており、それこそ人種のるつぼという感じでした。

他国の留学生と公園へ

全国で使われる教科書
そのため外国人向けの中国語教育経験が豊富で教材やカリキュラムも充実していました。特に教科書は併設した出版社で独自に作り、中国国内のほとんどの大学で採用されていたみたいです。
私も北京語言学院が作成した教科書を使っていましたが、当時の対訳が英語だったのでわかりにくい部分がありました。もう少し後になると日本語版も出たそうです。

留学生宿舎
留学生は基本的に寄宿舎での共同生活で、二人部屋が多かったです。お金がある人は一人部屋を借りれましたが数は少なかったです。同室の人は同じ国や母語の人が基本ですが、留学生楼によってはそこの国の人用という建物もあったそうです。

天津外国語学院の留学生宿舎 室内

進修生と本科生
留学と言っても大きく二種類に分かれていて、中国語だけを学ぶ「漢語進修生」と大学で専門を学ぶ「本科生」です。本科生を希望していても中国語のレベルが低ければ、とりあえず漢語進修生として一二年学んだあと本科に進む事になります。

学生の分配
当時の中国では希望する学校に行けるかどうかは運しだいでした。普通は日中友好協会などの団体が短期・長期留学を募集をします。この時、この団体が直接どこかの大学と提携をして留学する場合もありますが、だいたいは中国政府が割り振りしますのでどこに行くかの基準はわかりませんでした。
コネがあれば北京に行けたとかいう話もありましたが真偽のほどはどうでしょうか。半分くらいは北京語言学院で残りは地方都市に割り振りという感じでした。あとは留学を専門にする団体などが手配する短期留学ツアーなどもありました。

北京 建国飯店

やっぱり北京は人気
留学先で人気なのがやはり北京ですが、北京は都会なので便利だし、当時の中国は物価も安いし、不便なく勉強をしていける環境にありました。しかしあまりにも良すぎるのも問題で、日本語や英語だけでも問題無く暮らしていけ環境では中国語が上手くならずに帰国する人も少なくなかったみたいです。かと言って地方都市だと物も良いものがなく何をするにも不便だったし、学校外では訛りがひどく苦労が絶えなかったみたいです。

天津のホテル

天津へ留学
私も北京を希望していましたが指定されたのは天津外語学院でした。天津は一応そこそこ都会だったし北京には列車で二時間ほどで行け日帰りが出来る便利な場所でした。人々が話す言葉も北方なので訛りはあるものの標準語に近く問題はありませんでした。街並みは租界時代の洋風建築が残っていてなかなか異国情緒のある所でした。私はここで1986年9月から1988年7月の二年弱留学をししていました。

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