桜宮橋 通称銀橋 

大川から見た銀橋
大川から見た銀橋(桜宮橋)1957年頃

今回は古い風景写真を基に、変わってしまったもの、無くなってしまったもの、まだ出来ていなものなど、今では見る事の出来ない景色についていろいろと話をします。写真をクリックすると拡大したものが見れます。

桜宮橋(通称:銀橋)
大阪の桜宮にある大川にかかっている橋は銀橋と思っていましたが、実際の名前は桜宮橋(櫻宮橋)だそうです。この銀橋は昭和5年(1930年)に架けられました。戦前では日本で最大のアーチ橋だったそうです。
橋の特徴
この橋の特徴は3ヒンジアーチと呼ばれる形式で造られていることです。アーチの頂上部分にヒンジ(蝶番)を入れて地盤沈下などが起こった時に無理な力がかからないようにした構造です。

3ヒンジアーチ
3ヒンジアーチの一つ、頂上部分

ロマネスク風の昇降口
橋の両側に小さな建物が見えます。これは道路から川岸に降りるための昇降口で、ロマネスク風になっていました。私の覚えている1970年代では南西側と北東側にしかなく、北西側と南東側は階段だけでした。昔の写真を調べてみると、元々二つしかなかったみたいです。現在は新しい銀橋が架けられたため、北側にあったロマネスク風の昇降口は無くなりました。

ロマネスク風の昇降口
ロマネスク風の昇降口

泉布観
この昇降口の左奥に見える屋根は泉布観です。泉布観は大阪府最古の洋風建築物で、国の重要文化財です。元は造幣局の応接所として建築されたみたいで、明治天皇も行幸しました。新銀橋が出来るまでは道から少し奥にあったので存在さえもよくわからない状態でした。今は一号線の拡幅により、門からすぐの場所にあるため、外観は簡単に見る事ができます。今もたまに内部公開されているみたいです。その左側に煙突が立っています。これは造幣局内の火力発電所として作られた建物に付属していたもので、昭和40年頃まで変電室やボイラー室として使われていたらしいです。煙突はなくなりましたが、建物は増築と内部改修工事を行い造幣博物館になっています。

泉布観の屋根
泉布観の屋根

大川の貸しボート
さて、これらの写真は1957年頃に大川の上から撮られています。写真の右側の橋の下に建物が見えますがここは貸しボート屋さんだったのです。私の小さいころまではあったと思うのですが、今はボート免許教室になっていて、普通の手漕ぎボートは無いみたいです。

今との比較。空が広いよ
現在の写真と比べて気づくことは、ビルがまったく無いという事です。空が広く感じます。左岸(写真右側)は、今はホテル街になっています。
遠くに大阪市立総合医療センターが見えます。割と高い建物なので天神祭りの時には花火が良く見えます。但し当日は見舞客は全て追い出されます。
また右岸(写真左側)にはOAPが建っています。ここは三菱マテリアルなどの精錬所跡だったのを再開発して帝国ホテルなどを建てたのです。

川岸はどうなってるの
写真を見ていて気になったのですが、川岸に人が立っています。割と川面ギリギリに立っているように見えます。昔の写真を調べてみると柵はありますが低くて簡単に乗り越えられるのです。しかも砂浜だった箇所もあったみたいです。
右岸(写真左側)は造幣局で昔は船で原材料などを運んでいたため整備されているみたいです。今は一号線沿いにある正門は、昔はこの川側にありました。

桜宮スケートリンク
桜ノ宮には昔スケートリンクがありました。冬になると父がこのスケートリンクに連れてきてくれました。一階がメインリンク、二階に小さなサブリンクがありました。父は満州でやったことがあったので、上手く滑っていました。終わるとこの川沿いを歩いて天満橋まで行き、松坂屋でケーキなどを食べて帰りました。スケートリンクも松坂屋もどちらもなくなりました。寂しいものです。

【広告】手漕ぎボートなどと言わずいっそ船旅はいかがでしょうか。憧れのクルーズ旅行と船旅のことなら【ベストワンクルーズ】