丸栄百貨店とアドバルーン
名古屋の百貨店
名古屋の百貨店と言えば松坂屋が有名です。尾張徳川家御用達の「いとう呉服店」が栄町に名古屋初のデパート(百貨店)を出店し、ここから大阪、東京に進出して行きました。
丸栄百貨店
この栄町にもう一つ大きな百貨店がありました。それがこの丸栄百貨店でした。この丸栄百貨店は、もともと名古屋で御用商人七人の一つ「十一屋」が1915年に玉屋町から栄町に移転して百貨店として業態転換したものでした。戦争中に「三星」と合併して「丸栄百貨店」になりました。
この写真の建物は1953年に地上8階、地下2階の鉄筋コンクリート造りに増築され完成した本館です。1956年には新館が併設され、延床面積36,000平方メートルは松坂屋を抜いて当時の西日本一でした。
この写真は広小路通から撮られたと思います。大和銀行(現りそな銀行)とか富士銀行(現みずほ銀行)とか懐かしい名前の銀行が出て来ました。ここは名古屋でも有数の繁華街であることがわかります。
屋上からの眺め
この日はよく晴れていたみたいで、屋上から遠くの方まで景色がはっきり映っています。残念ながら名古屋の地理には疎いので詳しい場所はわかりませんが、西方向に向けて撮ったのだと思います。たぶん右側の道は広小路通だと思います。今でも名古屋のメインストリートの一つですが、この頃でもたくさんのビルが立ち並んでいます。ただ、正面の下側をよく見てみると二階建ての木造建物があちこちに見えます。まだまだ普通の家が残っていた時代です。
アドバルーン
屋上からの写真をよく見てみると丸い気球がいくつも映っています。最近では見なくなったアドバルーンです。昔は高い建物が無く、空は無料で使える広告場所だったので割安で広告効果もありました。ところが今では高層ビルが立ち並ぶようになり、また気球を使った広告は「屋外広告物条例」などで規制され、自治体によって掲出できる場所や方法の基準がバラバラで、広告としてはかなり手間がかかるようになったのも見かけなくなった理由の一つになります。
ちなみアドバルーンは和製英語なので、外国では通じません。英語では「advertising balloon」、中国語は「広告気球」になります。
空からの広告
子供の頃は、スーパーや百貨店でアドバルーンが上がっていましたが、これよりももっと印象に残ってるのが軽飛行機で空からスーパーの宣伝をしていたことです。飛行機から拡声器を使って宣伝をするのですが、最近は騒音防止条例などによりその広告も聞かなくなりました。一部の地域ではまだあるみたいです。また聞いてみたいものです。ちなみに空からの宣伝するための飛行機チャーター代は二時間で20万円ぐらいです。
私は知らないのですが、空からビラをまいた広告もあったみたいです。今ならゴミをまき散らすなと苦情も来そうです。空からの広告をだんだん見なくなったのは、高層ビルが立ち並んで地上から見る空が狭くなったからでしょうか。