曲阜・泰山の旅 その1
天津外国語学院ではいろいろなイベントを用意していました。その中でも一番大きかったのが1986年9月27日夜から10月1日までの四泊五日(車中一泊)、曲阜・泰山への旅でした。
曲阜
曲阜は北京から500キロ南にあり、孔子の生誕地として知られています。孔廟、孔府、孔林などがあり、1994年に世界文化遺産に登録されています。
孔廟は孔子の神霊を祭る所で、中国の代表的な建築物大成殿で儀式などが執り行われています。孔府は孔子の直系子孫が住み、色々な事務作業などをする場所です。孔林は孔子とその子孫のお墓がある所です。孔子の子孫は現在も続いていますが、孔子の子孫と称する人は数多くいてその数は400万人を越えます。ただ大分部の人は血縁関係は無いらしいです。孔子は文革の一時期、大悪人にされましたが今は再評価されています。
夜行列車に乗って早朝6時ぐらいに兖州駅に着きました。ここからバスで曲阜に向かいます。まず孔林に行きました。
孔林の門前では朝早くから観光客向けの人力車がたくさん客待ちをしていました。至聖林と書かれている門の向こうが孔林でその総面積は約2平方キロメートル、一族の墓所としては世界最大規模のものです。歴代皇帝の保護のもとで拡大し続けこの規模になったそうです。
孔林の中はまだ早朝なので静かでした。道には石虎、石麟、文官、武官の石像が多数並んでいました。その姿形は千差万別で、一つ一つ見ていくのも面白かったです。
孔林の規模は大きいです。一族のお墓があちこちにありますが、門から孔子の墓まではそれほど遠くはありませんでした。割とすぐに着いたように思います。
これが孔子のお墓になります。この石碑は明代の1443年に建てられていて「大成至聖文宜王墓」と書かれています。孔子は宋の時代に「成至聖文宜王」の称号が贈られていますので、この文言になったそうです。この石碑の裏にももう一枚石碑があり、そこには「宣聖墓」と書かれています。1244年に置かれたそうです。
孔子は紀元前551年に魯国に生まれ、紀元前479年に亡くなったそうです。この地に埋葬されてから弟子は三年にわたって墓守をしましたが、子貢だけはその後三年、計六年間喪に服したそうです。
ここを出るころには人も増えてきて活気が出て来ました。写真の中央にある橋は「沫水橋」と言って魯国と斉国の国境を流れる川にかかっていたそうです。孔林は国境をまたがってつくられていました。
孔子の墓を見た後、園内を色々と回りましたが解説書も案内人も無いのでどれが誰の墓か、歴史上どのような意味があるのかわからなかったです。もっと事前に調べておけば楽しめたのでしょう。残念です。(続く)
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