中国残留孤児
中国残留邦人とは
厚生労働省の説明では中国東北地区(旧満州地区)に居住していた人たちの中で、ソ連の対日参戦や戦後の避難中に肉親と離別したり孤児になったりして、やむなく中国に残ることとなった方々としています。その中でも日本敗戦の一九四五年時点の年齢で分けて、一三才以上であった人々を「中国残留婦人」と呼び、一三才未満の人々を「中国残留孤児」としています。
行政の対応
未帰還者に対して行政も何もせずに手をこまねいていたわけではなく、それなりに調査などを実施していました。これは1955年2月に行った調査実施計画です。大阪府民生部世話課から祖父に来た手紙で、これによると色々な名簿との突き合わせや個々の状況の聞き取り結果報告とかをしていたみたいです。国共内戦や中華人民共和国誕生などによる混乱があったため、実質1947年から止っていた中国東北地区からの引揚は1953年に再開され、この時期になるとある程度新しい情報が集まって来たので「課の総てを挙げて調査を行う」(同封の手紙より)事にしたみたいです。
多数の未帰還者
この時期までに分かった開拓団員895人中、未帰還者は140名いたことがわかります。死亡の365人と合わせると半数以上の人が日本に帰れなかったみたいです。
どうして残留孤児に
写真は昭和30年1月1日現在での昇平大阪開拓団からの未帰還者名簿です。全部で12ページ、140名の名前が載っていました。よく読んでみると、年配の男性は現地応召されて行方不明になっています。若い女性や子連れの未亡人は「**で満人の妻となった」とされ、小さい子供は「**で満人の許に引き取られた」とありました。引き取られた人を数えてみると51人いました。
当時負けたとはいえ日本人は優秀だという考えが信じられており、日本人の子どもを欲しがる中国人は多数いました。男の子は家の後継ぎとして、女の子は将来の息子の嫁として欲しがったみたいです。父も美味しいものをいっぱい食べさせてあげるからと誘われたそうです。この「日本人は優秀」という考えは新中国になってからでも長く残っていたみたいで、父が大学受験で機械系の受験をしたのに「日本人の子どもは優秀だから」という理由で無理やり医学部に合格させられたりしました。
早期発見者
この新聞記事は残留孤児の中でも早い時期に親族が分かった人です。未帰還者名簿にも載っていました。父は同じ開拓団にいたNさんの兄弟を探す手伝いをしていました。探す方法は日中友好協会や赤十字社などを使って安否確認の手紙を出したり、また中国に残っていた関係者から直接手紙が来たりして細々と続けていたそうです。そうした中で見つかったのがこの方でした。父はこれらの手紙の翻訳作業をしていました。
確かこの人が帰国した時にNHKの朝の番組で紹介され、スタジオからインタビューをする時の通訳として父が行きました。朝早くからスタジオ入りして打ち合わせをして準備をしたのに放映時間は5分ぐらいでした。テレビの前で放送を待っていた私達は、あっという間に終わったうえ、インタビューの途中で打ち切られたのを怒った事がありました。
この人は日本に帰国されてからもお付き合いがありましたが、親族の援助などがほとんど無く、行政の支援もまだ確立されていない時期だったため、父があれこれと世話をやいたそうです。ただ、当時は組合活動をしていたため、うちもあまり裕福ではなかったのにこの人への支援活動をしていたので母は同情はしていましたが「うちが苦労してるのに、こっちの米びつをカラにした」と今でも怒ってます。
日中国交正常化以降は孤児である事を表明する人が増え、1981年から集団訪日調査もはじまりましたが、両親や親族を見つけるのに苦労しました。また見つかっても日本への帰国する事が困難な人もいました。それには色々な理由がありました。両親とも亡くなったのもありますが、一番難しい問題は子どもをお金に換えた人達でした。生き延びるためとは言え、子供を捨てたという後悔は思い出したくない記憶になったのだと思います。お金に変えたとなるとなおさら後ろめたさから名乗り出る事が出来ず、悲劇が長引く原因の一つになったのです。
人生ゲームのルール
子どもの頃、お正月に近所の人から借りてきた「人生ゲーム」をしました。楽しく遊んでいたのですが最後の決算のところにある「子供1人あたり***ドルもらいます」のルールを読んで父は「子供を金に換えるんか!」と激怒しました。その後、他所の家では人生ゲームをしましたが、わが家ではしていません。因みに、今の人生ゲームでも同じルールがそのまま残ってます。
私はこのことがあったので早くから残留孤児について知っていました。子供を手放さなければならなかった親御さんの気持ちはいかようであったか。置いていかれた子どもの気持ちはいかようであったか。色々と考えさせられる話です。
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