南京長江大橋

1979年 南京長江大橋にて

長江に橋を架けろ!
いまでこそ長江にかかる橋は多数ありますが、私が留学した時は重慶、武漢、南京の三本しかありませんでした。そのうちまず武漢の長江大橋(長さ1670m)が架けられました。1957年にソ連の技術援助により長江中流より下流側で初めて架けられた鉄道道路併用橋でした。続いて重慶白沙陀長江大橋(長さ820m)が1959年に、これもソ連の技術援助によって完成せた鉄道橋でした。ところがすぐに中ソ対立が起きて技術援助が得られなくなりました。

助けがなければ自力でがんばる
重慶にある「重慶嘉陵江大橋」(1966年開通、長さ626m)は長江支流の嘉陵江に架かる橋です。ソ連からの技術援助がなくなったあと自然災害や資金難で完成が危ぶまれましたが、支流とはいえこのような大橋をどこからの技術援助もなく、独自の力で苦労の末完成させた初めての橋として大々的に宣伝しました。自力更生宣伝の始まりでした。

南京長江大橋

自力更生!文革バンザイ!
南京長江大橋はそのような時代環境の中、どこからも技術援助を得ることもなく、自分たちだけで作ったまさに自力更生の集大成として長く中国人の誇りとなりました。ちょうど文革中の1968年に完成。道路部分は全長4,589m、長江にかかる部分は長さ1,577mでした。鉄道部分は全長6,772m、長江にかかる部分は道路橋同じく長さ1,577mでした。道路鉄道併用橋としては当時世界最長でした。これにより北京と上海は一本の鉄道で結ばれることになりました。

南京長江大橋の長江側

長さが違うのはどうして?
道路橋に比べて鉄道橋が長いのは南京が平地だからです。周りに山が無いため川を渡るためにはある程度の高さが必要です。しかも長江は物流の大動脈で大型船も多数航行しますので高さが必要でした。

調べてみると橋下通過可能高度は24mで5000トン級の船が航行できるようになっているそうです。これだけの高さの所へ登るのに当時は蒸気機関車だったので緩やかな助走が必要だったのです。

南京長江大橋を渡る蒸気機関車

蒸気機関車は扱いが難しい
ザクッと計算してみましたが、橋頭堡の高さが70mなのでその半分ぐらいの35mの位置まで登るとして、助走部分が約2600mなので13.5パーミル(1パーミルは千分の一)の勾配になります。蒸気機関車単独だともっと急勾配でも登れますが、北京と上海を結ぶ京滬線という大動脈の橋です。長大貨物列車を登らせるためにはこれくらいまでの勾配にする必要があったのです。
京滬線の完全ディーゼル化は1984年、完全電化は2006年だそうです。

南京長江大橋を走る汽車

中国自慢の大橋、南京長江大橋
これらの写真は父が1979年5月に高知県からの訪中団で通訳として行った時に撮った写真です。帰ってきてからすごい橋だったと何度も言ってました。中国側も自慢の橋なので友好訪中団には色々なところを案内したみたいです。一般の人が入れない下層部の鉄道部分にも案内しました。間近で見る列車の迫力はすごかったと言ってました。

南京長江大橋を渡る機関車

【広告】日本にも凄い橋がたくさんあります。行ってみませんか?旅の事なら日本旅行へ。