中国の市内路線バスの思い出

上海のバス 1978年ごろ

路線バスは二両連結
中国の市街地を走る路線バスは二両連結が一般的に使われていました。だいたいどの地方都市に行ってもこの二両連結のバスが走っていました。扉は前に1つ、後ろに1つまたは2つありました。どの都市に行っても網目のように路線が走っていました。バス代は安く2分から1角ぐらい(当時のレートで約0.7円~3.5円)と格安だったのでよく使っていました。

エンジンは寒がり
バスはディーゼル車で運転席の横にエンジンルームがあり、調子が悪くなると蓋を開けてエンジンの調子を見ていました。エンジンは大きさの割に馬力が無いのか、いつも苦しそうな音を立てながら走っていました。ディーゼルエンジンはその構造上ある程度暖かくないと動かないのです。そのため冬になるとそのエンジンカバーの上に毛布のようなものを置いて熱が逃げないようにしていました。それで良いのかと思いましたが、ある程度効果はあったのでしょう。
中国では乾燥しているためお茶をよく飲みます。運転手さんも蓋つきのコップや瓶を持ち込んで信号待ちの時に飲んでいました。

トロリーバス ハルピン 1994年

トロリーバスって知ってます?
路線バスにはもう一つ、トロリーバスもありました。トロリーバスとは架線から電気を受け取りモーターで走る電車と線路のいらない普通のバスのいいとこ取りをした乗り物です。中国語では「无轨电车(無軌電車)」と言います。日本でも昔は何本か走っていましたが、架線を引いたりする手間や電気的に色々な制約があったりして手間がかかるのか全廃されました。電気で走るクリーンな乗り物なのに残念です。私も子供の頃に乗ったことがあります。このトロリーバスは当時の中国では各都市には何本かの路線が走っていました。北京や天津でも走っていてよく利用しました。音が静かな事以外はほとんど普通のバスと変わらず料金も同じでした。

降りる人が先のはず

バスはいつでも大混雑
さてこのバスは早朝から夜遅くまで走っていましたが、昼間はいつも大混雑でした。もちろん路線によっては空いていることもありますが、市中心部や幹線を走るバスはどれも大混雑でした。日本みたいに降りる人が優先という考えは無かったです。扉が開いたらすぐに乗り込もうとするため降りれません。乗ろうとする人を押しのけて降りなければいつまでも降りれないのでした。
そんな押し合いへし合いをして乗り込んだら、やっぱり中も押し合いへし合いの混み具合です。中は日本のバスと同じ感じですが、連結車なので車体の途中で曲がるのがなかなか面白かったです。

路線バスは連結車

バスの車掌さんは過激
バスには運転手の他に車掌さんも乗っていて、混雑している車内でもバス代を回収しに来ました。運転手さんは男性も女性もいましたが、車掌さんは女性が多かったです。割と雑な言葉遣いでしたが、我々留学生には少し丁寧に対応してくれたと思います。連結車だから車体が長いので内輪差に注意しなければなりません。角を曲がる時は車掌さんが窓から手を出して車体を叩きながら「走吧,走吧(のけ、のけ)」と叫んで歩行者に注意を促していました。

ある日、北京でバスに乗りました。車内はそこそこ混んでいましたが何やら乗客と車掌さんがもめていました。乗客はおばさんといった感じの人で車掌さんは三十代ぐらいの女性でした。バス停についても少しもめていましたが、乗客が下りた後車掌さんがその乗客に向かって「死吧(死ね)」と叫んでました。留学初期で中国語超初心者の私でもその言葉はわかりました。確かに乱暴な言葉遣いの多い乗務員とはいえ、ここまで無茶苦茶な人は最初で最後でした。

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