鉄道ファン 模型鉄と撮り鉄
鉄道は身近なところに
私は小さい頃から鉄道ファンでした。近くに国鉄の貨物線が通っていて、貨物列車が通るたびにガタガタと自宅が揺れていました。初めてその揺れを経験した人は地震かと思うくらいでした。今は線路を整備され、レールの継ぎ目もほとんど無くなったので大きな音も振動も少なくなりました。少しさみしいです。
鉄道ファンの遺伝子
母が祖父(父の父)に聞いた話によると、曽祖父(祖父の父)は北海道の滝川かどこかの駅長だったらしいです。祖父の戸籍謄本は北海道空知郡瀧川村で作成されたみたいなので、その頃に曽祖父が北海道にいたのは確かです。その後本州に戻ってきたけど米原かどこかの駅長をしている時に事故が起こってその責任をとって辞めたらしいです。今となっては確認のしようがありませんが、私の鉄道好きの根本には曽祖父の遺伝子が入っているからかもしれません。
鉄道模型の入り口 プラレール
親戚の家にプラレールがあって、遊びに行くといつもそれで遊んでいました。レールを組み合わせて長い環状線を作ったり、色々なポイントを組みあわせて複雑な操車場を作ったりと楽しい時間を過ごしました。近所の友だちのところにもプラレールがあったので欲しかったのですが、当時の欲しかったおもちゃの中では順位が低かったです。
そしてNゲージへ
中学の時にNゲージを買ってもらい鉄道模型にも手をのばしました。小遣いを貯めて少しずつレールなどを増やして行きました。友人と互いの線路をつなぎ合わせて長い軌道を作って走らせたり、列車の自慢をしたりして楽しみました。高専に入ってからジオラマに挑戦したのですが、私には美的なセンスが無かったので自分で作るのはあきらめました。鉄道模型を見るのは好きだし列車を走らせたりするのは好きなんですが、作るのはどうもダメです。模型部に入ってましたが模型は作らない変な部員でした。
撮り鉄
中学になるとカメラを買ってもらい一人であちらこちらへ行って写真を撮ってくるようになりました。幸い大阪駅や新大阪駅に近かったのでホームや線路際からパシャパシャと撮っていました。小遣いは少なかったので何ヶ月かに一度ぐらいしか撮れませんでしたが、見てるだけでも楽しかったです。ただ、単純なコンパクトカメラだったので、走る鉄道を撮るには性能が低すぎました。
シャッタースピードは1/2000
高専の時にPENTAX ME Superを買って本格的に撮り鉄の道に進もうかと思いました。ただ、相変わらず小遣いは少なかったのでそんなにたくさん撮りに行くことは出来ませんでした。それでも望遠レンズやズームレンズ、広角レンズを揃えてカメラマン気分に浸ることは出来ました。しかし相変わらず美的センスは無かったので記念写真的なものしか撮れませんでした。このPENTAX ME Superは一度本体が盗難にあいましたが、レンズが残っていたので中古を買って使っていました。2001年にデジカメを買ってからは使わなくなり、最後はシャッターが下りなくなったのでメルカリで一式9000円で売りました。故障してても売れるのね。
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ディスカッション
コメント一覧
鉄道模型から撮り鉄までのお話ですね。次回は乗り鉄まで進んでいるのかしら…。楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
乗り鉄の話もまとめていきたいと思います。