天安門広場
天安門広場は今も昔も北京に来た観光客が一度は訪れる観光名所です。私が留学していた時は、出入りは自由。道路にも車はそんなに走っていなくて、人々は車や自転車に注意しながら道を横断して広場に行くことができました。一応、天安門から広場に行くには長安街大通を渡る地下道があったのですが、車をすり抜けながら渡る人も少なくなかったです。88年頃には厳しくなりましたが、それでも車道を渡る人はいました。
天安門広場は中華人民共和国のシンボル天安門の前に広がる広場です。広さは約40万平方メートルあり、100万人の大集会ができるとのことです。そのため、広場の側の道路には穴があり、覆いをすれば即席の公衆トイレになるそうです。ホントかどうか知らんけど。しかし、それらしき蓋があるのはホントです。
広場の中央に人民英雄紀念碑があり、東側には歴史博物館と革命博物館、西側には人民大会堂、南側には毛主席紀念堂があります。
人民英雄紀念碑にも自由に登ることができました。人民英雄紀念碑は高さ38mのオベリスクで、正面には毛沢東の筆による「人民英雄永垂不朽」の文字が刻まれています。裏面には周恩来の筆による顕彰文が刻まれています。写真に写ってますが、人々は自由に登って見物することができました。台座のレリーフには阿片戦争から国共内戦を勝ち取るまでの中国近代史の主な出来事が彫られていて、人々はあれこれとおしゃべりをしながら間近で見ることができました。
毛主席紀念堂は、華国鋒が1977年に、毛沢東の遺体を永久に保存するために作られた建物です。中を見学することは出来ますが、留学時代でも入場するには荷物の持ち込みは禁止、撮影禁止、立ち止まることも禁止といろいろと厳しい制限がありました。荷物は一時預かり所があるので、そこを利用します。時には長い行列に並ばなければなりませんが、立ち止まるのが禁止されてますので、ノロノロと動き、思ったより早く入ることが出来ました。ご遺体がありましたが、ゆっくり見る暇がないので、「あっ、毛沢東だ」で終わってしまいます。まあ、話のタネにはいいかもしれません。
写真のように長いときには記念堂から人民英雄紀念碑を超えて行列が伸びることもありました。
父は1974年の大阪上海友好都市締結の通訳で訪中し、北京にも行ったはずなのでこの毛主席紀念堂が無い天安門広場を見ているはずです。残念ながら写真が残っていません。一番古い天安門広場の写真は、1979年に日中友好高知の翼で訪中した時のものです。私が行った時とあまりかわりは無いみたいです。
人民大会堂には入りませんでしたが、東側にある現在の中国国家博物館は、私が留学していた時は「中国歴史博物館」と「中国革命博物館」に分かれていました。歴史博物館には中国の古代からアヘン戦争までの中国の歴史が、革命博物館はアヘン戦争からの特に中国共産党の歴史について展示されていました。私は国共内戦に興味があったので、革命博物館が面白かったです。入場客はあまりいなかったので静かにゆっくり見る事が出来ました。
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