曲阜・泰山の旅 その2
孔廟
孔林の次に向かったのは孔廟です。孔廟は南北1キロ、総面積2ヘクタールもあり、広大な敷地の中に孔子を称えるための建物が多数建てられています。孔子の亡き後、魯の哀公が小さな廟を建てたのが始まりとされ、その後漢の武公時代に儒教が尊ばれてからは歴代の皇帝が競い合うように改修、再建、拡張を続け現在の規模になりました。一番大きな建物は大成殿で、横54m、奥行き34m、高さは32mと中国でも最大級の木造建築物です。標準レンズでは全体が入り込まないほどの大きな建物でした。
まず「金聲玉振」と書かれた石坊に来ました。「金聲玉振」とは全てが整っていることを意味し、転じて才能や人格の優れた人の事を言います。明代に建てられたこの石坊も孔子がいかに素晴らしい人物であるかを歴代の皇帝が称えている事が知られます。
石坊をくぐってしばらく歩くと櫺星門に着きます。この門も明代に建てられたもので、「櫺星」とは天文学で文星(学問を司る星)を意味し、学問の神様である孔子を象徴しています。写真でもわかりますが観光客がたくさん来ていました。この日は国慶節の前の日曜日で普段より多いのかなと思っていましたが、もう一つの理由がありました。
この日は孔子の生誕祭である「釈奠典礼(孔子祭)」の古代楽舞が行われていたのです。そのため多くの見物客が大成殿前に集まり、見物していました。この孔子祭の時に奏でられる古代楽舞は、中華人民共和国建国後は執り行われなかったのですが、1986年になって再び奏でられることになりました。建国後行われることがなかったので資料などが散逸してしまい、その復元には三年の月日を要したみたいです。
この儀式の模様はNHK特集「大黄河 」で放映されたみたいです。ちょうど取材の車が止まっていました。この儀式は約一週間ほど続いたそうで、取材そのものはこの時のではなく9月26日の初日にしたみたいです。放送は見ていないのですが、詳しく解説された日本放送出版協会の「NHK 大黄河 第五巻 大河 渤海に至る」を読みました。
この演者は曲阜師範大学の先生を中心に学生や劇団員、元京劇の役者などによって演じられました。この楽舞は忠実に再現すると13時間かかるのですが、そんなに長くやってられないので一時間半ほどの長さに改められたそうです。
楽舞がどのような音色だったとか舞だったとかは忘れましたが、日本の雅楽とも違い、かと言って京劇のようなものとも違い、聞き慣れない音色だったなぁと思ったのだけ覚えています。これと言った激しい舞があるわけでもなく、ちょっと退屈な儀式でしたが珍しいイベントなので最後まで見ました。
この楽舞は普通の入場料とは別に特別観覧料が必要だったみたいで、そのチケットが残っていました。金額はわかりません。
楽舞が終わると大成殿に登ることができました。大成殿前には剥製ですが供え物の豚、牛、山羊がありました。ちょっと不気味でした。
石柱は28本あり、全てに龍の彫刻が刻まれていますが一本として同じものは無いそうです。屋根には黄瓦が葺かれ北京の太和殿を思い起こさせます。
内部は孔子とお弟子さんたちの塑像がありましたが真新しいものでした。文革中に内部を徹底的に破壊されたため、最近になって復元されたものだからです。
【続く】