1955年頃の梅田阪急百貨店からの風景
1955年頃の梅田阪急百貨店から東側を見た写真と思われます。
昔映画のスクリーンにはシネラマという規格がありました。70mmフィルムを三本同時に再生して今のIMAXのような迫力ある大画面の映像を上映する規格だったのです。ただ、三本同時に撮影するためにはいろいろな制約があったり、上映する映画館が限られたので製作費の割に回収が難しいなどからこの規格で製作された映画は数本しかなく、一般的にシネラマ映画と呼ばれるものは70mmフィルムをワイドスクリーン方式で上映したものです。
大阪のシネラマOS劇場は1954年に「OS映画劇場」をシネラマ上映館に改装して座席数は1278席の「OS劇場」としてオープンしました。この劇場はスクリーンが大きく迫力のサウンドだけでなく、全席指定入れ替え制という贅沢な映画館だったのです。私はここで「ラビリンス/魔王の迷宮」「ライトスタッフ」などを見ました。1991年2月に惜しまれながら閉館しましが、私は閉館前のシネラマ上映リバイバル特集で、「ベンハー」を見ました。あの戦車競技はやはり大きな画面だからこそ迫力があるのだと思いました。現在跡地はnamco梅田店が入るOSビルになっています。
OS劇場から真っ直ぐ奥に向かって続いている道は「阪急東通商店街」です。まだアーケードはありません。また新御堂筋がまだありませんので分断されず一続きの商店街になっています。
正面に見えるビルは「田園ビル」です。大阪梅田に詳しい人はご存じの喫茶店「田園」です。この「田園」が有名なのは6階建ての中に動くステージが作られ、二階から五階までをエレベーター式の舞台が上下するので、どの階でも生演奏を聴くことが出来たからです。夜遅くまで営業していて、しかも広いフロアだったの多人数が急に行っても、だいたい座る事が出来ました。二次会などで何度も利用したことがあります。なお、このビルが現在のビルと同じものかどうかの確認はとれていません。しかし「田園」の名前はこの頃にはすでにあったみたいです。
商店街の奥に見えるスタジアムみたいなのは扇町公園にあった「大阪プール」です。この大阪プールは、1950年に日米国際水泳選手権開催のため5カ月の突貫工事によって建設されました。屋外で競技用50メートルプールと飛び込み用プールがあり、照明設備を備えた巨大な観客席は2万5千人収容できたそうです。かつて「最も観客収容数の多いプール」としてギネスにも認定されたことがあります。巨大な観客席を利用して、プールが使えない夏以外の季節には、ボクシング・プロレスなどのイベントが行われました。一般開放の時に一度行ったことがあります。深くて足が着かないので、一度泳ぎ始めると向い側まで泳ぎ続けなければならないのがしんどかったです。大阪プールは1996年に八幡屋公園へ移転したあと取り壊され、扇町公園の南側には数字の付いたスタート台が記念に残されています。
さて、この写真を見て思ったことは、高いビルが無い。高架道路、高速道路が無いという事です。そのため10階ぐらいの高さの所からでも遠くまで見渡すことが出来ました。
また、街中でも工場があちこちにあったため煙突が多いことです。まだ大気汚染、公害という考えも普及してなかったので、煙突からモクモクと煙が出ててばい煙や悪臭が大きな社会問題になってきた頃です。1967年に公害対策基本法が制定され、徐々に環境法が整備されてくるとこのような工場はだんだん姿を消すようになりました。
ここでもアドバルーンが上がっています。「アルバイトサロン チヱスター」だそうです。「アルバイトサロン」とは「アルサロ」とも呼ばれ、主婦や会社勤めのOLみたいな素人のアルバイトが女給をしているキャバレーみたいな所なので「アルバイトサロン」だそうです。今でも「アルサロ」は使うのでしょうか。
65年ぐらい前の大阪はこんな感じだったのですね。
屋上からの写真はまだありますので続きます。
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