曲阜・泰山の旅 その3
大成殿前の古代楽舞が終わったので奥に進み聖跡殿(聖蹟殿)に行きました。ここまで来る人は少ないのか静かでした。聖跡殿は孔子の偉業を称える一生が掘り込まれています。
中国の寺院や公園などには石碑がたくさんあります。その石碑の土台にはだいたい亀みたいな生き物がいます。それは龍が生んだ子供の一匹「贔屓(ひき)」です。贔屓は重い物を背負うのが好きで、そのため古来石柱や石碑の土台の装飾に使われることが多いのです。
孔林や孔廟にもたくさんの石碑があり、その土台はだいたい贔屓が背負っていました。
この後近くの招待所みたいなところでお昼ご飯になりました。料理は普通の中華料理です。何人かでテーブルを囲んでワイワイと食べていました。味や内容は忘れましたが一つだけ印象に残ったのは鶏肉のスープでした。白湯で鶏肉と野菜の入った美味しいスープでした。鶏肉は骨付きの地鶏で、肉は硬くてなかなか噛み切れないぐらいでしたが鳥そのものの味がしました。いっしょのテーブルにいたYさんがお玉で底の方をかき混ぜて掬うと、お玉の上でトサカの付いた鶏の頭が「こんにちは!」と現れたのです。Yさんはびっくりして「うぉ!」と言ってお玉を落としてしまいました。まあ、それでもそのスープは美味しくいただきました。
食事が終わったら次の目的地、泰山のふもと泰安へ行くために兖州駅へ戻りました。中国の駅の中はだいたい写真のような窓口でした。
中国の駅はだいたい簡素でした。大きな駅ではプラットフォームに屋根があるくらいで売店もベンチもありませんでした。待合室は駅舎の中にあり、列車の時刻が近づくとプラットホーム入るため、余分な設備は要らなかったのでしょう。売店はありませんが駅前にはたくさんの物売りやお店はありました。
この頃の京滬線(北京と上海を結び路線)は電化されていなくて、蒸気機関車やディーゼル機関車が活躍していました。写真奥には多数の機関車が止まっているのも見えます。この横には東風型ディーゼル機関車も止まっていました。
この兖州駅は幹線の京滬線と新兗線や兗石線が交わる交通の要衝で、そのため割と頻繁に列車が通ります。私たちがホームに上がってからも貨物列車が行ったり来たりしていました。
この写真のディーゼル機関車はアメリカGE社製ND5型前期型です。動輪はC-C配置で、運転最高速度は時速100kmでした。主に幹線の貨物用ですが、運用によっては短距離の客車も引いていたそうです。アメリカ製なので中国製とは違う独特のスタイルをしています。
正面には青島-徐州間の列車が止まっていました。ディーゼル機関車は東風4型、当時の代表的なディーゼル機関車です。だいたい14時間ぐらいかかりますので座席車だけでなく寝台車も連結されています。ただ時刻を見るとその日のうちに到着するはずなんですが寝台車があります。日本では考えられない事です。
そうこうしているうちに次の目的地である泰安駅行の列車に乗りました。泰安駅は兖州駅から北に80kmぐらいの位置にあり、約1時間40分ぐらいでかかりました。泰安駅は泰山のふもとにあります。泰山は封禅の儀式が行われる神聖な山と知られ、今は世界遺産に登録されています。次回は泰山についての記録です。
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