京都競馬場と石清水八幡宮
京都の淀には曽祖母が居たので小さいときから何度も行った事があります。駅から桂川の方に続いている商店街を抜けて少し歩いた旧京街道の傍に家がありました。古い京長屋で2間半ぐらいの間口ですが奥には中庭があったりして割と広かったと思います。玄関から土間が奥までつづいていて左側に部屋がありました。
この写真は淀駅で写された祖父です。後ろには淀城の石垣が見えます。今の淀城跡は豊臣秀吉の側室茶々(淀殿)が居た淀城ではなく、江戸時代に造られたそうです。徳川幕府が京と大坂を結ぶ京街道ににらみを利かすために造られた城でしたが、幕末の鳥羽伏見の戦いでは幕府から官軍に寝返ったため負けてしまうという正に歴史上では重要な役割をした城でした。今は高架になり城跡全体が上から見られますが昔は地上線だったので石垣と堀跡が間近に見れて面白かったです。地上駅だった頃の淀駅は二面三線運用で競馬が開催される時は大阪方面の淀発着の臨時便がありました。
この写真は1955年ごろの京都競馬場とその周囲だそうです。曾祖母の家の近くから撮ったみたいで、遠くに見える大きな建物が競馬場でしょう。周りは普通の民家と畑しか無い場所だったみたいです。
京都競馬場は1907年に下京区にできましたが、その後火災などで移転を繰り返し1925年に現在地に移転しました。このころのスタンドには戦時中の金属類回収令により屋根がなかったみたいです。屋根は1958年に再建されました。淀の京都競馬場は宇治川沿いにあり馬場の状態が非常に悪いのですが競馬場へのアクセスが良いため売り上げ日本一になったこともあるみたいです。
この写真は1955年ごろに淀の近くにある石清水八幡宮、男山から北北東の方向を見下ろした写真です。
下には京阪本線の木津川橋梁、宇治川橋梁が見え、電車が走っています。この二つの鉄橋は京阪電車を撮影する有名な場所で、京阪電車のカレンダーなどによく使われていました。しかし京滋バイパスが出来たため、二つの鉄橋を一度に見ることが出来なくなりました。残念。しかし、春には木津川と宇治川の堤防には桜がきれいに咲き誇り、「背割堤の桜並木」として有名な桜の見どころになっています。
正面の森みたい所は淀駅の淀城跡です。
その右側宇治川の手前には京都競馬場があります。拡大してみると確かに大きなスタンドの上の屋根がありません。正面に見える高い山は比叡山です。まだ高速道路も高いビルやマンションも無いためすっきりとした風景になっています。
この日は良く晴れた日だったのかきれいに伏見方面から東山、比叡山方向が見えます。
この写真は京都石清水八幡宮の門前で父と祖父が映っています。どうしてこんなところで?と思いましたが、いろいろと調べているとどうも父がこの八幡宮の関係者の娘さんとどうのこうのがあったみたいです。どこまでどうとかまではわかりませんが父の残したメモによると青年時代の思い出だったみたいです。