1978年ごろの天津
1978年ごろの天津市内です。
天津は租界だったので洋風建築物が多数残っています。ここは海河そばの通りです。映っているバスは電気で走るトロリーバスです。車も少なく歩く人の服装も時代を感じさせます。
家の写真で語る思い出とよもやま話
前回からの続き、第二回です。 次の日柴を拾いに校庭に出てみました。すると昨日気づ ...
父は1983年に入院をしたことがあります。胃潰瘍で胃の大部分を切除する手術もした ...
北京駅は中国の首都北京の玄関口として非常に重要視されていてます。現在の駅舎は当時 ...
父は腕の良い旋盤工でした。日本に帰国後はあちこちの鉄工所を渡り歩いていたみたいで ...
1987年春節前の吉林、松花江の霧氷 吉林の松花江の上流には日本が建設した豊満ダ ...
: 中国
昨年八月にアップしたものの再掲載します。 父は前回の手記のあと八路軍といっしょに ...: 中国
1953年版手帳の自叙伝の最終回です。 三月になってハルピンに日本人の学校が出来 ...: 中国
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8月13日は父の命日です。昨年もアップしましたが自叙伝を三日続けて再掲載します。 ...: 祖父
祖父がどれくらい運転が上手だったのかは不明ですが、一応賞状をもらう ...1964年生まれ。学校卒業後、他社に就職していたが親の甘い言葉に誘われてて中国に二年間遊学後、二代目として経営を任された。旅行が趣味。
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