北京駅 その2
中国の首都 北京
天津から北京は列車で1時間40分〜2時間ぐらいの距離だったのでよく遊びに行きました。遊びというより買い出しに行きました。やはり北京には色々な良いものがありました。特に外資系のホテルに行けば日本のインスタントラーメンや醤油などもあって重宝しました。朝イチに乗れば9時前に着き、帰りは17時50分ごろの列車があったので、十分に遊んだり買い物をしたりする時間がありました。
北京に近づくと列車の放送から「北京是中华人民共和国的首都」から始まり、北京がいかに中国では素晴らしい誇り高き場所であるかという事を延々とアナウンスしてました。それをぼんやり聞いているうちに窓の外に遊園地のジェットコースターが見えて、城壁の端っこが見えたら北京駅のホームに着くのでした。
城壁があった北京
私が北京駅から列車に乗ったのは1986年9月1日でした。駅前広場の西側にあった近郊向け改札口から地下道を通ってホームに向かったのですが、キャリーを付けた留学用の荷物が重くて、階段を一段づつヒイコラと言いながら登りました。そしてホームに上って南側を見るとなにか大きな壁みたいなものがありました。少しレンガみたいなものも見えましたが何かわかりませんでした。列車で隣の席になった日本人留学生に聞くと城壁だと言われました。当時は崩れかけの城壁でしたが、今は明代城壁遺跡公園として整備されました。
外国人向け待合室と券売所
留学当時、外国人は切符を外貨兌換券を使って外国人専用窓口で買う事になっていました。ただ、留学生は人民料金でしかも人民元で買う事が出来ました。北京駅では構内に一等客向け待合室があり、その中に外国人専用窓口がありました。しかしこの外国人専用窓口は開いている時間が短いし窓口も少なかったのです。切符は乗る駅からしか買えませんでした。ですから天津から来るとまず帰りの切符を買うために窓口に並びました。窓口は行き先によって分かれていました。
窓口の開いてる時間はきまぐれ?
ある日帰りの切符を買うためだったかどこかへ行くための切符だったか忘れましたが、昼前に列に並びました。前の人と何かもめているようで、少し時間がかかっていました。その人が終わってさあ私の番だと思ったら目の前で窓口がピシャッと閉まったのです。予告もなく昼休みでもなく、なんか知らんけど窓口を閉めてどこかに行ってしましました。こっちはせっかく並んで次の番だと思っていたのに買えなくなりました。「おーい」「劳驾(すいません)」と言っても中の人は誰一人反応しませんでした。だんだん腹が立ってきて、私はこの中国留学中に初めて罵詈雑言である「他妈的!」を叫んでいました。隣りにいた香港人の若者が大笑いしてました。笑い事じゃないわい。プンプン。この言葉を言ったのはこれ一回だけです。仕方がないので一度どこかで時間をつぶしてからまた買いにいったように思います。忘れたけど。すごく腹がたったので叫んだことだけは覚えてます。