通天閣
現在の通天閣は二代目です。初代は1912年に内国博覧会跡地に作られた新世界ルナパークという娯楽会場のシンボルタワーとして建設されました。戦中に火災を起こし、鉄材供出のため解体・撤去されました。この二代目の通天閣は1956年に地元有志の熱意により再建されたものです。
出来て間もない頃に父はここに親しい友人と行ったみたいで、何枚か写真が残っていました。通天閣のある周辺は新世界と呼ばれ、たくさんの飲食店や映画館、劇場などがあります。できた当初は新しい観光名所として年間入場者数は150万人を超えていましたが、あいりん地区が近くにあったため風紀の良くないところとしてのイメージが出来上がり、1970年代には20万人前後にまで落ち込みました。
私が小学生の頃、友人と天王寺動物園に行った帰りに通天閣に寄る計画を立てたところ親から「あんなガラの悪いところに子供だけでいったらあかん」と止められました。まあそれでも黙って一回は行きました。ちなみに、当時の動物園や天王寺公園の周りもあまりガラは良くなくて、傷薬を売るために蛇に噛ませるパフォーマンスをする立売とか、青空カラオケとかの露天が立ち並んでいました。
写真は1957年頃の新世界南側からみた通天閣です。この頃も新世界は活気のある街でした。
正面の横断幕には「相手になるな情夫(ヒモ)がついてる賣笑婦」(浪速防犯協会、浪速警察署)とあります。賣笑婦(売笑婦)とは売春婦の事で、個人営業の人には美人局やのめり込むと怖い人が来るよという事なんでしょう。しかし歓楽街とは言え、家族連れも来る場所で堂々とこのような横断幕が掲げられてるのは、ここが新世界だからなのか、時代的にそのような事が日常だったのか、どうなんでしょう。
左側にある「公楽座」は松竹系映画の封切館で、当時の新世界最大級の劇場でした。づぼらや新世界本店の北隣にありましたが、その後移転解体され、現在はテナントビルなどになっています。なお、づぼらや新世界本店も2020年9月15日に惜しまれながら閉店しました。あの大きなフグの提灯はもう見る事が出来ません。
劇場の看板を良く調べたら「淑女夜河を渡る」という映画だったみたいです。この映画は1957年8月4日に公開され、主演は大木実、高千穂ひづる、泉京子、山鳩くるみなどです。あらすじを読みましたが、別々の田舎から都会に出てきた男女が騙されてやくざになったり娼婦になったりしたけど、なんとか抜け出そうとしたにもかかわらず残念な結果になる悲劇のお話しでした。この新世界でこの映画は良いのかと思いました。
右側の飲食店の看板には「鰻まむし」とあります。今の若い大阪の人は言わないですが「まむし」とは鰻の事です。特にご飯の上ではなく御飯の中に隠れているうなぎ飯の事を言うみたいです。語源は「鰻飯(うなめし)がなまった」とか「ご飯の間にうなぎを入れて蒸す(間蒸し)から」とか「うなぎを『まぶす』から」とか言われています。漫画「サザエさん」でも大阪に来たサザエさんが「マムシを食べよう」と言われてヘビと勘違いして食べられなかったエピソードがあります。そう言えば、マスオさんは大阪出身のはずなのに大阪弁が出てこないのは何故かという大きな謎がありますね。なぜでしょう。まあ、磯野一家も福岡出身なのに福岡弁をしゃべってないし、全国紙だから実際はしゃべっていても翻訳されてるのかもしれません。
通天閣の写真はまだありますので残りはまたそのうちに。
現在の通天閣
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